香山リカの決まり文句は、
「アイヌが民族であることは
もう議論の余地はない。
国際社会でも専門家の間でも
決まっている」です。
じゃあ「国際社会の決定」は
絶対なのか?と聞くと、
香山は対談の場で何度も
「私は国連を絶対視しているわけではない」
と逃げを打ちましたし、
「国際社会が決めたから捕鯨反対か?」
と聞かれれば、決して答えられないでしょう。
また「専門家」にもいろいろいます。
「原発は安全だ」と言ってる「専門家」も
いっぱいいますが、香山はこれを
「専門家」だからと信用するのでしょうか?
さて、香山が信頼しているらしき「専門家」に、
北海道大学准教授の丹菊逸治なる人物がいて、
香山らと本出したりトークイベントやったり
してるのですが、この「専門家」はこう言ってます。
「例え固有の言語や伝統文化が失われたとしても、
過去との連続性を保ち、
同じ民族に属するという意識を持った人々の
集まりである以上、アイヌは民族として存在する」
(どうしんウェブ 2014/8/21付)
是非答えてもらいたいのですが、
言語でもない、伝統文化でもない
「民族」としての「過去との連続性」って、
具体的に、一体、なんのことですか!?
もちろんアイヌの場合、
「血統」も果てしなく薄まっているから、
それもありえません。
それでも「民族」としての
「過去との連続性」を
担保しうる客観的要素って、
何が存在するのですか!?
結局、それは本人が
「同じ民族に属するという意識を持っ」ている
という、主観的要素しかないんじゃないですか?
「本人がそう思っている」だけじゃ、
「民族」としての「過去との連続性」などとは
到底いえないことは誰の目にも明らかです。
しかもこれは本人がその「意識」を持たなければ
「民族」を辞められるということですが、
そんなものを「民族」と呼べるのでしょうか!?
結局は、例の「3つの質問」に行きつくのです。
質問1 アイヌの血が1%、和人の血が99%になっても
「アイヌ民族」なのか?
質問2 アイヌ語も話せず、アイヌ文化を
一切継承していなくても
「アイヌ民族」なのか?
質問3 自分の意思でやめられるようなものを
「民族」と言えるのか?
香山リカはおちゃらけるばかりで
決して答えないので、代わりに
「専門家」の丹菊逸治に
答えていただきたい。
でも所詮、香山リカの
お仲間じゃ、無理かな?
文化人類学者の河野本道先生が
先日亡くなり、こういう「専門家」が
調子に乗りつつあるようで、
実に憂慮せざるを得ない事態です。